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上七軒 周辺観光地

金閣寺

舎利殿

京都市北区にある臨済宗相国寺派の寺院であり、
山号は北山(ほくざん)。
寺名は足利義満の法名にちなんでなづけられました。
1994年に古都京都の文化財として世界遺産に登録されております。
舎利殿

庭園

金閣を映す鏡となる鏡湖池の周りに、葦原島・鶴・亀などの島々や、石を献納した畠山・赤松の名がついている名石が数多く配置されています。神仙思想に基づいて造られた室町時代の代表的な池泉回遊式庭園。
庭園

陸舟の松

京都三松の一つに数えられ、船の形をしている五葉松。
義満の手植えで、帆掛け船の形に仕立てられたといわれております。 舳先は西を向いていて、西方浄土に向かう船に見立てたものとされております。
陸舟の松

安民沢(あんみんたく)

安民沢は雨賜沢・望雲沢ともいわれる池で、日照り続きでも涸れない雨乞いの場とされておりました。
まわりは樹林に囲まれており奥深さがあります。
池の中央部にある島には、西園寺家の鎮守と伝えられる五輪の石塔「白蛇の塚」があります。
安民沢(あんみんたく)

夕佳亭(せっかてい)

江戸時代に修復完成した金閣を後水尾上皇が訪問で、当時の鳳林和尚が茶人・金森宗和に造らせました。
現在の建物は明治7年に再興され、茶室の前にかつて足利義政が好んだといわれる富士山型の手水鉢と石灯籠が置かれております。
夕佳亭(せっかてい)

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金閣寺

平野神社

平野神社はもともと大和にありましたが、平安京遷都の際に朝廷の勧請により京都に遷座した由緒ある神社で古くから桜の神社として京にその名を轟かせております。
ここ平野神社の桜は、平安時代中ごろ、花山天皇により、境内に数千本の桜を植えたのが起源で、現在でも400本の桜が植えられております。
桜の時期は、ライトアップやお花見客で賑わいます。
平野神社

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わら天神

わら天神

正式には、敷地神社(しきちじんじゃ)と称され、金閣寺の南方に位置し、静かな雰囲気の神社で、安産の神として信仰されております。安産御守として藁が授与されることから「わら天神」の通称があり、藁に節があれば男児、節がなければ女児が誕生すると言われております。 赤ちゃんの成長を祈っての初宮詣や、満1才をむかえての初誕生祭の参拝者も多い神社であります。
また、ここの近くのマクドナルドは、外観地区により、茶色の看板を使用してる事もあり観光のひとつにもなっております。
わら天神

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千本釈迦堂

千本釈迦堂

正式な寺名は大報恩寺(だいほうおんじ)と称し、貞応二年(1223)と云うから鎌倉時代中期、求法義空上人が釈迦念仏の道場として釈迦如来像、十大弟子像を安置したのがその始まりと伝わります。
また、応仁の乱の戦火の中で残った京都市街地では最も古い建物が残る寺院でもあります 。
ここ千本釈迦堂は、本堂の建立に関して大工の妻の「おかめ」に関する伝説(※1)が伝えられています。
※1本堂を造営する際、大工の棟梁であった高次が代りのない柱の寸法を切り誤ってしまい困り、それを見た妻のおかめが枡組を用いたらどうかとアドバイスし結果無事に竣工させることができました。おかめは女の提案で大任を果たしたことが知れてはと上棟式を待たずに自害されます。高次は妻の冥福を祈り宝篋印塔(おかめ塚)を建て、おかめの名にちなんだ福面を付けた扇御幣を飾ったとされる。大工の信仰を得るようになり今日でも上棟式にはお多福の面を着けた御幣が飾られております。 度重なる戦乱にも残った本堂とも結びつき厄除、招福のおかめ信仰につながっております。
わら天神

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千本釈迦堂

くぎ抜きさん

その昔、手の病に苦しむ商人の夢の中に、この地蔵尊があらわれ、釘を抜いて苦痛を取り除いたという逸話があり、あらゆる苦を抜くお地蔵さんとして、信仰されています。 八寸釘と釘抜きがはめ込まれた絵馬は、願い事が叶った際に奉納するもので、地蔵堂の壁面いっぱいに掲げられております。
わら天神

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